超覚寺入国400年記念 ”超覚寺縁起”

浅野家入城400年のこの年に菩提寺である超覚寺入国400年史編纂のお手伝いをさせていただきました。
超覚寺は元々紀伊国にあり寺領千石を持ち千年にも及ぶ天台宗の古刹でした。村上天皇の流れを引く北畠氏が代々住職を務めていました。25世の時代親鸞聖人に帰依し浄土真宗に改宗して寺号を弥勒寺改め超覚寺とし京都本願寺顕如御門跡の末寺になりました。26世慶清(伊勢国司北畠式部卿具親の子)の時本願寺顕如上人の息女・光姫をめとりましたが、伊勢の国司北畠氏は織田信長との戦に敗れ信長の次男信雄を養子に迎え跡目を譲ることで和解をします。その後北畠氏は信長親子に暗殺され、清洲会議の時織田家の跡目相続のために信雄は織田姓に戻し伊勢の国司としての北畠氏は滅亡します。しかし北畠の血は超覚寺の住職として綿々と昭和20年まで続きます。
超覚寺にはこうした縁起をひもとく手がかりになる過去帳が残されています。歴代住職及び門徒に関わることだけでなく、その時代に何が起こり歴史がどのように動いたか、各年代の住職により詳細に記されています。浅野氏入城400年の年に、同じ時代を見守ってきた寺として、事実を伝えるこの覚書をまとめさせていただきました。
父親から聞かされていた北畠氏のことや超覚寺のことを史実として知ることができ、またこの時に生きていて400年史の編纂をお手伝いできたことに感謝しております。
表紙には広島城下町絵図を使用させていただきました。江戸初期の広島絵図の京口門近くに”寺”と記されておりますが、これが超覚寺だと思われます。

また超覚寺は浅野家からの信任厚く、家老であった上田家の和風堂扁額の紀文依頼についても祇園余一との仲介役を担わされています。
資料の収集からそれらをまとめて頂きましたのはコピーライターの松上三智さん、デザイナーはアンドの小串理さん、撮影は花田憲一さん、監修は中道豪一さんです。
広島城、郷土資料館、そして上田流お家元には多大なるご協力をいただきました。そしてこの事業を発案され過去帳をまとめて頂きました超覚寺17世住職和田隆彦住職に重ねて感謝申し上げます。

今年は浅野家入城400年ですが我が家の菩提寺である超覚寺も入国400年を迎えます。それを記念してこの400年の歴史を見て頂くために屏風と冊子を作ることになりました。その屏風を先月納品させていただきました。
この屏風には超覚寺に残った過去帳の中から広島入国時のこと、浅野幸長公、長晟公の覚書や歴代住職であった北畠家のこと、浅野家との関わり、豊臣家、徳川家のこと、戊辰戦争のこと等多くのことが記されています。その過去帳と江戸末期の広島の絵図。
そこには浅野家のお侍の居所が克明に描かれています。
そして浅野家家老であった上田家の和風堂の扁額の書の依頼の仲介役をした手紙等貴重な古文書や絵図を見ることができます。
デザインは地域デザイン研究所の青木朝生さん。
撮影は花田憲一さん。
製作はブロックスの小川原隆之さんです。